監督雑記

永久機関 吉祥寺での軌跡

吉祥寺に事務所を構えて20年になる。その最初の名前が「プロジェクトチーム永久機関」だった。おもにOVAを中心に私の企画を制作する会社だった。発注 元の倒産で会社をたたみ、しばらく竜の子プロに居候をした後、再び事務所を復活した。なれた吉祥寺を選んだ。バブルが崩壊した後では事務所の家賃も、敷金 も以前のような恐ろしい金額ではなくなって借りやすくなっていた。当時の近鉄デパート隣のビルの一室でこぢんまりとしたワンルームだったが、再び、一国一 城の主となってうれしかった。ちょうど携帯電話が普及し始めたころだった。有線電話の申し込みを携帯でするという不思議さも時代を感じさせた。8階の窓を 開け放つと、まだ吉祥寺には大きいビルはなく新宿の高層と東京タワーが見渡せた。個人事務所となったドアには「Project-永久機関」と手書きのカー ドを貼った。14年前だ。

この事務所のおかげでいろいろな人に出会えた。自宅で仕事をしていたら、あり得ない出会いだった。吉祥寺という土地柄いろいろな人が訪ねてくれた。制作の 人も訪ねてくれて面白い仕事をまわしてくれた。麗夢サイトでも記したが、わざわざ訪ねてくれて企画にあげてくれた人たちもいた。そのときに最初の麗夢サイ トが出来た。

新星堂でカードを使ったところ「あの奥田さんですか?」と尋ねられ友人となったのがマニア店員のT君だった。道で遭遇してDVDBOX発売に尽力してくれ たM君も忘れられない。コミケ帰りによってくれる麗夢ファンも多数いた。タツノコ前会長のK・Yさんもよく訪ねてくれた。「オクダくん、昼飯でもくわんか ね……?」
すべて、吉祥寺という地の利があったからであろう。数年後、隣は近鉄が店をたたみ、大塚家具/三越に変わった。劇団のマネージャーをやっていたカミさんが 帰りに寄って一緒に夕飯の総菜を買って帰った。JR沿線の私立中学に通っていた娘も遊びがてら、よく寄っていった。日常が穏やかで幸せだった。

時代が変わっていたことには気づかなかった。朝、三越と事務所のビルの間を通るとき、違和感があった。三越の駐車場に入る車があまりに高級車が多いという ことに気づいた。ベンツ、BMW、ジャガー、セルシオ、アウディ等々。運転するのは奥様風の女性かその娘。それにしてもどのような階層の人たちなのだろ う。一千万、二千万の収入では,あり得ない生活レベルだ。世の中お金持ちが増えていた。一方貧乏人も増えていた。

我々はきちんと労働の対価、あるいは才能の対価をいただくだけである。それ以外の収入はない。世の中、人のピンを刎ねなければお金持ちになれないのだ。そ んなことはとっくに気づいていたものの,これほどあからさまな時代は初めてである。不快な「金持ち父さん貧乏……」などという本も流行った。その後もっと 世間が変化した。大塚家具/三越も立ちゆかなくなって、閉まった。

しばらく時間がたった。噂で「ヨドバシカメラ」が後に入ると聞こえてきた。これは嬉しかった、カメラ大好きの私は開店を心待ちにした。仕事は、相変わらず のペースで進んだ。「ヨドバシカメラ」マルチメディア館の工事が始まった。思ったより大きな改装だった。その夏は特に暑く,工事の騒音と暑さで事務所へ出 る回数がめっきりと減った。体力も落ちた気がして自宅でのんびり仕事を続けた。

季節が移って、「ヨドバシカメラ」が開店したが嬉しさもほどほどだった。なぜなら、駅からの人の流れが変わって事務所への通勤が煩わしくなっていたのだ。 ある日ひょっこり芦田氏が尋ねてきた。「オクチン今のアニメ界どう思う?」JAniCAに関わるきっかけだ。元々このての活動は苦手だ。人と交わるのはス トレスだ。だが、そうも言ってはいられない状況にアニメ界は立ち至っていた。労働だけで食べてゆかれるほど甘い世の中ではなくなったようだ。元々、利の薄 い職業で,その上デジタル化が拍車をかけた。JAniCAの運営委員として動いた。沢山の人が危機感を抱いていることが分かった。今まで知らなかった人た ちとも会えた。照れながらも「絵コンテ講座」 を開いたり、地道な活動が続いた。だからといってアニメ界が,社会が変わるわけではないことは分かっていた。ただ自分の生活はだいぶ変わった。あまり事務 所で仕事をしなくなったことだ。そのうちに吉祥寺デニーズが閉店し、つられるように愛着のあった喫茶店も閉まった。相変わらずヨドバシカメラは便利だが騒 がしい。

潮時かな……?  考えた。そのとき友人のSが仕事のため倉庫を借りた。私の事務所の机や機材を十分に居候できるスペースだった。意を決して引っ越しを決めた。
カミさんが手伝ってくれて荷物を整理した。私には愛着のあるものでも彼女は決断できる。「それは捨てましょ」正解だった。どんどんと不用なものが捨てられ 部屋が広くなり、荷物は引っ越し屋の手際の良さで運び出された。ガランとした部屋は広く見え14年前に戻った。少し大きなビルが増えた吉祥寺だが相変らず 新宿と東京タワーは見通せた。
「また、戻ってくるか……」一人つぶやく。

10月末「プロジェクト-永久機関」吉祥寺事務所は終わった。
これからは当分、WEBでの「Project-永久機関」に、腰を落ち着けることになる。

奥田 誠治

『鉄人28号』よりアニメ業界へ入り、TCJ、タツノコプロ、アートフレッシュを経てフリーとなる。絵コンテ以外にも、作画、演出、小説執筆、コミック原作など多岐に亘る。

奥田 誠治

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